行事報告

今年は、開花予想が早かったので、志波む櫻記念碑の掃除を3月29日に設定しました。ところが、それから寒い日が続いたため、当日は風の強い少し寒い日になってしまいました。結果的には4月5日で十分ということで、来年は遅い目の設定にしたいと考えています。今年の参加者は、昭和23年卒では、釈・市原・吉田・河合・古口・中近・臼井(附中3期)の諸氏、昭和24年卒では、梶田・林・北崎・迫田の11人でした。



平成20年6月21日(土)午後4時30分から京都ホテルオークラにて3年ぶりの「東櫻同窓生のつどい」が開催されました。今回は昭和53年、54年、55年の卒業生が幹事学年として、企画、運営をさせていただきました。


受付風景(4階会場前ロビー)

当日は目標の300人には届きませんでしたが、279名の方にご出席いただき、盛大な会を催すことができました。今回の最高齢のご出席者は大正14年卒の市 和顕様で、96歳ということです。紫野高校の理科の先生をされていたそうで、附属京都小学校の卒業生の中でも多くの人が教えを受けられたようです。


同窓会総会(堀場雅夫副会長、野村英男会計担当理事、出木谷 寛常任理事長)

当日のスケジュールを簡単に振り返りますと、物故者への黙祷の後、総会が開かれました。堀場雅夫副会長に議長をお願いし、滞りなく無事終了しました。役員5人はいずれも再任されました。


桜の開花が3月24日と早かったので、開催日を3月30日(日)と1週間前倒ししました。予定を変更したこともあって、3月30日(日)に集まったのは十人と少し淋しい出席状態でした。10時から記念碑を清め、周辺の草を引く作業を行いました。そのあと日露戦争のまっただ中、真下飛泉先生の作になる「出征」が附属小学校の学芸会で初めて歌われたという話を聴き、いよいよ持ち寄った飲み物・肴で一献と相成りました。今年は、碑の近くに水道の蛇口が付いたり、木製のしゃれたベンチが設置されたりと、環境は至って良くなっておりました。しばらくして、空からポツポツ冷たいものが落ちてきたので11時半ころ解散しました。

ところが、それから1週間経った4月6日(日)は快晴、しかも桜は満開の状態! 自然相手のイベントの難しさを実感しました。ふつう、桜は開花日から1週間で満開を迎えると聞き及んでいたのですが認識を改める必要がありそうです。

文責:迫田恒夫(昭和24卒生)


今年度、京都紫FCは創立40周年を迎えることになりました。また、今年は迫田恒夫代表の古希の年にもあたり、これらを記念いたしまして、8月25日(土)に国際会議場「さくらの間」にて、『京都紫FC 創立40周年記念祝賀会』を開催しました。
祝賀会には、現附属京都小学校副校長の多田光利先生をはじめ、これまで京都紫FCの活動を支えて頂いた連盟、各少年団の代表、少年団OB、現役選手、後援会、ら総勢およそ230名の方々にご出席を得、盛大に祝賀会を執り行うことが出来ました。
今回の祝賀会では『紫動(しどう)』をサブタイトルに掲げました。この言葉には「もう一度OB,後援会が一丸となってこの40周年を機に動き出そうではないか」という思いがこもっています。
また、今回作成した京都紫FCの40年間を綴ったDVDは1期生からの動画を中心に各年代の歴史の様子のわかる大変素晴らしいものとなりました。見ていただいた方の評判も良く、1年がかりで資料を集めてきた甲斐がありました。

祝賀会の方は、阪田和哉実行委員長の開会宣言で始まり、迫田恒夫代表よりチーム戦績や近況報告などのお話がありました。


(会場風景)


(実行委員長 阪田 和哉氏)


今年の「東部東櫻同窓会」総会は6月2日(土)午後1時から丸の内の日本工業倶楽部において会員48名の参加を得て、開催されました。
会場の日本工業倶楽部は先月オープンしたばかりの「新丸ビル」に隣接、地下道で繋がっており、交通至便で、会場の雰囲気もよく、参会者には大好評でした。参加者数が例年比やや少なかった点は、反省を要します。この時期には同窓会などが接踵していることもあり、土曜の午後は出にくいとの声も聞かれましたので、今後はウイークデーの夕刻に開催することとしました。
総会での重要議案は、本同窓会の会則改正で、①会長や会計担当の任期を定める、②会員の範囲を京都附属小中学校の在籍者に限定、高校のみの在籍者は外すといった点が、主要な改正点でした。